生きる意味とは?|ルクセンブルグの子どもたちと愛犬が教えてくれたこと

「アフリカの貧しい子どもと、ルクセンブルグの裕福な子ども。
どちらかになるとしたら、あなたはどちらを選ぶ?」
まだ銀行に勤めていたころ、外国で働いていた同僚からこんな問いを投げかけられました。
質問の意図が読めずに戸惑っている私に、彼女はすぐに答えを告げました。
「私は、アフリカの子どもを選ぶわ。」
世界一裕福な国の闇
ルクセンブルグ。
国策で世界の金融センターとなったこの小国は、世界一裕福な国です。
GDPランキング_ 一人あたりのGDP (アメリカは7位、日本は38位)
世界中からお金が集まり、教育も、医療も、社会保障も整っていて、何ひとつ不足のない環境です。欲しいものはすべて手に入る。 努力をしなくても、与えられる。
どこから見ても、羨ましいですか?
それでも、子どもたちの自殺率がとても高いのだそうです。特に、雨の日が続くと。
苦労はないけれど、何を目指して生きていけばいいのかがわからない。子どもたちは“生きる達成感”を得る手段を見つけられないのです。
そんな子どもたちが道端で「物乞いごっこ」をします。人に頭を下げて、なんとかお金をもらう。「もらえた!!」その瞬間だけ、何かを“得た”という実感を得られるから。
しかし、雨が降るとその“遊び”もできなくなって、心がぽっかりと空いてしまう。
やがて、生きる意味すら見いだせなくなる──。
究極の選択の答えは
そうであるなら、日々、生きることだけに一生懸命になっているアフリカの子どもの方がマシ。
もちろん厳しくはあるのだけれども、目的と努力の余地があるだけ、生きる意味を見出せずに自分で人生の幕を閉じる生活よりもマシなのだ、と彼女は言いました。
生き物はただ生きてさえいればいいわけじゃない。命とは、体が動いているだけの状態を指すのではなく、心が動いている状態なんだと思います。
目標がある。努力がある。達成がある。
そしてその喜びが、次の一歩へとつながっていく。
それは、犬も同じ
わが家のあられは、普段はのんびりと静かに過ごしていますが、なぜか時々リビングのない上のフロアに移動していくことがあります。
「静かな場所がいいのかな」と思っていたのですが──
よく観察していると、リビングでおやつの袋をカサッと開けた瞬間、すごい勢いで駆け下りてきます。たまたまその辺に落ちていたおやつをしんのすけが噛む音がしても、駆け下りてきます。 まるで、五感を研ぎ澄ませて“ミッション”を果たすかのように。
「聞き取る」努力、「間に合うようにダッシュする」挑戦、そして飼い主への交渉。
(決してしんのすけから奪い取るようなことはしません。あられの名誉のため言い添えますが・・・)
「手に入れる」達成。あられの中に、確かに「生きている実感」がある。
しんのすけも、似たようなことを毎日やっています。何度挑んでも、何度負けても、あられにワンプロ勝負を挑みつづける。しつこいくらいに。だけど、どこか楽しそうに。彼にとってそれは、偉大なる姉に「挑む」こと自体が喜びであり、目標なのかもしれません。

小さな挑戦でも、続けよう
ルクセンブルグの子どもたちの話は、あまりにも衝撃的でした。けれど、あられやしんのすけを見ていると、心の充足は案外シンプルなことの中にあり、自分で見つけていくことができるのだと思えてきます。
生きるって、小さな挑戦を楽しむことなのかもしれません。
与えられることではなく、自分でつかみにいくこと。それが、きっと命の“意味”。犬も、人も、同じだと思いませんか?

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